オージーの思い出

初代オージーが亡くなったのは 平成6年5月7日 北海道は桜が満開だった。

享年6歳 可愛い盛りに亡くしてしまった。

生後35日でチャウチャウランドから我が家に直接やってきた。

まだまともにご飯も食べられず 大変な思いで育てた記憶がある。

その時先住犬ボンドは7か月 お似合いの夫婦になると思っていた。

結果的に仔犬は出来なかったが 仲のよい夫婦で 眠る時はいつも2頭でくっついて私の蒲団の上で眠っていた。

うちに来た時から身体の弱い犬で 季節の変わり目には原因不明の熱を出し 獣医さんとは縁が切れなかった。

血尿も出て 腎臓も悪かった。

最後は入院先で独り寂しく逝ってしまった。

悔やんでも悔やみきれない結末となった。

今でも私の心が痛む。

その秋 2代目オージーが生後45日でチャウチャウランド系の田村さんちから我が家にやってきた。

元気一杯の子で 初代オージーを亡くし 真っ暗だった我が家の太陽となって輝いた。

平成12年5月 やはり北海道は桜が散る頃 子宮手術後3日目 オージーは逝ってしまった。

麻酔で呼吸が停止し 蘇生に時間がかかり失明はしていたが手術は成功したのに 獣医が気分転換になるから散歩に連れ出せと言う。

私は反対した  こんなに弱っていて 目も見えないのに無理だ  と。

しかし獣医は

「普通は3日目には散歩させるものです 大丈夫ですから」と強く言ってきた。

あの時 獣医の言葉に負けたことは悔やんでも悔やみきれない。

散歩の途中で 座り込んで動けなくなった、呼吸もおかしい。

あわてて抱っこして連れて戻って 15分後 オージーの心肺は停止してしまった。

獣医が蘇生を試みてくれたが オージーは戻って来なかった。

オージーが可哀相で仕方が無かった。

手術前まで元気で走り回っていて いきなり手術されて何が起こったのか分からないまま 苦しんで逝ってしまったオージー。

獣医を恨んでも仕方ないのは分かっていた 何をしてももうオージーは生き返らないのだし。

辛かったなぁ。

持って行き場の無い怒りと悲しみと悔しさで 私も死にたくなった。

ハワイで眠る初代オージーとオージー二世、どうか私を許しておくれ。

たった6年しか生きられなかった私の娘たちよ 私もいずれハワイで眠るから待っていておくれ。

そしてその時 私を許すと言っておくれ。