西普天間が返還ってだいぶ前から決まって

西普天間が返還ってだいぶ前から決まってたことだし、地元からすれば、あれは普天間というよりキャンプ瑞慶覧のイメージ。返される土地もちょっとだしねぇ。あと全く違うのは離着陸がある普天間と住宅地だった西普天間という話。それじゃあ負担軽減にならないよー。

週末下町ぶらり。何を食べてもおいしい萬華の台湾式おこわ油飯のお店

同郷のともだちと下町ぶらり。

ずっと寒かった台北が久に天気のよかった週末。

すごく楽しくて、気持ちのよかった日の思い出。

行ったお店はオープンテラススタイルのこんなお店!

やっぱりこの雰囲気もいいなー。

古さは否めないけれど、どことなく明るい感じのお店で気持ちも高まります。

台北のビッグ寺院龍山寺界隈にあるローカル店。

龍山寺駅からも歩いてこられるし、台鉄萬華駅のほうがもっと近い場所にあります。

台湾人のお友達でこのあたりに詳しい子がいて、この周辺のおいしいお店をたくさん教えてもらったので少しずつ食べ歩くのがいまの楽しみ。

名店がいっぱいなのです。

この日こちらでいただいたのはこれ。看板メニューいろいろ。

このあとも食べ歩くつもりだったからふたりでシェアして食べました。

そんな食べ方ができるのも台湾のいいところ。

伝票に注文したい数を記載して店員さんに渡すスタイルなので言葉の心配は不要!

台湾式おこわの油飯。

つやっつや。ぜんぜん癖のない味で、トッピングのお肉も美味。

相席の地元の方がテーブルの上にある銀の容器に入っているソースをかけて食べるとよりおいしいと教えてくれました。

スープは排骨湯。

骨付き豚と大根のスープ。両方の出汁が出てものすごく滋味深い味わい。

最高級品。

そして刈包。

ここのもおいしかったなー。好みの味。

大きめのふかふかパンにとろとろ系の豚角煮、高菜漬け、ピーナッツの粉、パクチー

どれもたっぷり入った黄金比率。愛しの藍家に負けてないと思った。

メニュー一覧はこちら。

友達と言っていたのは下町価格だからか他よりも安い気がする。

何を頼んでもおいしい最高のお店です。

阿萬油飯

住所台北市萬華區??大道162-4號

電話0223360122

営業時間6:00〜14:30日曜定休

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オージーの思い出

初代オージーが亡くなったのは 平成6年5月7日 北海道は桜が満開だった。

享年6歳 可愛い盛りに亡くしてしまった。

生後35日でチャウチャウランドから我が家に直接やってきた。

まだまともにご飯も食べられず 大変な思いで育てた記憶がある。

その時先住犬ボンドは7か月 お似合いの夫婦になると思っていた。

結果的に仔犬は出来なかったが 仲のよい夫婦で 眠る時はいつも2頭でくっついて私の蒲団の上で眠っていた。

うちに来た時から身体の弱い犬で 季節の変わり目には原因不明の熱を出し 獣医さんとは縁が切れなかった。

血尿も出て 腎臓も悪かった。

最後は入院先で独り寂しく逝ってしまった。

悔やんでも悔やみきれない結末となった。

今でも私の心が痛む。

その秋 2代目オージーが生後45日でチャウチャウランド系の田村さんちから我が家にやってきた。

元気一杯の子で 初代オージーを亡くし 真っ暗だった我が家の太陽となって輝いた。

平成12年5月 やはり北海道は桜が散る頃 子宮手術後3日目 オージーは逝ってしまった。

麻酔で呼吸が停止し 蘇生に時間がかかり失明はしていたが手術は成功したのに 獣医が気分転換になるから散歩に連れ出せと言う。

私は反対した  こんなに弱っていて 目も見えないのに無理だ  と。

しかし獣医は

「普通は3日目には散歩させるものです 大丈夫ですから」と強く言ってきた。

あの時 獣医の言葉に負けたことは悔やんでも悔やみきれない。

散歩の途中で 座り込んで動けなくなった、呼吸もおかしい。

あわてて抱っこして連れて戻って 15分後 オージーの心肺は停止してしまった。

獣医が蘇生を試みてくれたが オージーは戻って来なかった。

オージーが可哀相で仕方が無かった。

手術前まで元気で走り回っていて いきなり手術されて何が起こったのか分からないまま 苦しんで逝ってしまったオージー。

獣医を恨んでも仕方ないのは分かっていた 何をしてももうオージーは生き返らないのだし。

辛かったなぁ。

持って行き場の無い怒りと悲しみと悔しさで 私も死にたくなった。

ハワイで眠る初代オージーとオージー二世、どうか私を許しておくれ。

たった6年しか生きられなかった私の娘たちよ 私もいずれハワイで眠るから待っていておくれ。

そしてその時 私を許すと言っておくれ。

人間関係のトリックを解き明かす

兄弟喧嘩を生み出した“本当の争い”とは―

ROSSCOs Eye 〜人生を俯瞰する視点〜

Vol.246『兄弟喧嘩を生み出した“本当の争い”とは―』

Introduction

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どんな兄弟にも、争いは起こります。 なぜなら、兄弟は生まれながらのライバルであり、互いに比較し、劣等感を感じたり、親の愛情や扱いに差を感じたりしているからです。 そして、兄弟だからこそ他人には感じない激しい憎しみが生まれ、深刻な問題に発展するケースも少なくありません。 そうならないためにも、今回の実証例は大きなヒントになるのではないでしょうか。

二人の息子の尋常ではない兄弟喧嘩に悩み、ミロスシステムにより、その争いを終わらせたある母親(Mさん 40代 福岡県)の体験です。 普通は、喧嘩をやめさせよう、子どもをなんとかしようとしますが、それでは終わらないこの問題を、ミロスシステムでどう乗り越えていったのでしょうか。

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『兄弟喧嘩を生み出した“本当の争い”とは―』

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兄弟喧嘩が絶えない

「いつか、どちらかが相手を刺してしまうかもしれない…」 常に長男と次男の間には一触即発の緊迫した空気が流れ、いつ戦いが始まるかと思うと、Mさんは気が気ではありませんでした。

彼女には、中学2年の長男、小学5年の次男、小学1年の3人の息子がいますが、長男は次男にだけ牙を剥き、いつも次男に対して挑発的な態度をとることで喧嘩がはじまっているように見えました。

わざわざ弟が嫌がることをして、弟が言うことをきかないと暴力を振るう。 自分のことを棚に上げ、弟の態度が気に入らないからと、ひどく責める。 思い通りにならなければすぐに不機嫌になり、怒ったり、泣いたりして暴れ出す。 そんな自分勝手で、全く自制心のない長男を見ていると、Mさんは殴りたくなるほど腹が立つのでした。

止まらない長男の暴挙

どうして、あの子はこうなんだろう? 一番上で、あまりかまってもらえない不満を、弟にぶつけているのだろうか…。

彼女は原因を探し、長男の暴挙を止めさせようと手を尽くしました。 息子の気持ちを理解しようと話を聴き、怒らないよう心がけ、泣いたら抱きしめ、要望を聞いてあげようと、 夕方遅くまで公園遊びにつきあったり、本当は与えたくない甘いおやつを作ってあげたり、見せたくないテレビを見せてあげたり…。 今思えばおかしいとわかりますが、その頃の彼女には、それ以外に方法がわかりませんでした。

本当にいろんな事を学び、いろんな方法を試しましたが、状況は変わらず。それどころか、“変わらないことに”ストレスを感じ出し、Mさんは、今まで我慢してきた感情や報われない気持ちが、突然爆発するようになったのです。 結局、何をしても裏目に出てしまい、それまでやってきた事を一切やめました。

ミロスシステムとの出合い

そんななか、彼女が希望を感じたのがミロスシステムでした。 友人の勧めで、初めてセミナーに参加した時、今までのものとは全く違うものを感じ、これに託してみようと思ったのです。

実際に様々な問題を乗り越え、人生そのものが再生した事例がたくさんありました。 本当の問題は、目の前の事象ではなく、それを見ている自分の意識の奥に隠れていることを知り、Mさんも、自分を知るという方法(ミロス)を学び、実践し出したのです。

長男から離せなかった視線を、自分に向けることにより、彼の言動一つ一つに振り回されていた日々から解放されていきました。 そして、自分を知るために人生を紐解くことで、現状をつくり出している“意識のメカニズム”が見えてきたのです。

子ども時代の姉との関係

子ども時代。 Mさんは2つ上の姉から、いつも理不尽な扱いを受けていました。 やることなすこと全て潰されていたそうです。 しかし、そんな姉妹の関係に両親は気づいてもくれませんでした。

父は仕事で家庭を顧みず、母も働きだし、多忙な毎日を送っていました。 一度、学校の不満を母に打ち明けた時、母の目が、まるで「面倒なことを言わないで」と言っているように見え、それからは全て自分の胸の中にしまい込むようになりました。

辛いことも、嬉しいことも、家族に話すこともなく、感情を見せずに過ごしていたMさん。 家庭に温かみを感じたことはなく、普通に喜怒哀楽を出せるよその家庭がうらやましくて仕方ありませんでした。 こんな家庭だったらいいのに、こんな家族だったらいいのに…と。

結婚したMさんは

そして、大人になり結婚したMさんが、家族のために良かれと思ってしていたことは、子どもの頃、自分が与えてもらえなかったものばかりでした。

子どもの話をよく聞いてあげよう。 小さいうちは家にいてあげよう。 愛情のこもった手作りの食事を作ってあげよう…。 息子たちの意思とは関係なしに、いろんなものを与え、温かい家庭をつくろうと頑張っていました。

しかし、不足感から生まれた想いは、どんなに努力しても、さらに不足感を増す結果を生み出します。 Mさんが、心の葛藤から平穏で幸せな理想の家庭を求めたことで、目の前に争いを生み出し、そして、それを止めようとして戦っていたのです。

“本当の争い”は自分の中にある

子ども時代の姉との関係性をわが子が追体験することになり、辛い思いをしましたが、そのお陰で、今まで知らなかった“意識のメカニズム”を知ることができました。

こうしてMさんは、自分を知っていくことで、すべてが自分から発生していること、“本当の争い”は自分の中にあり、相手を変えようとしても何も変えられないことを体感していきました。

もう、理想を求め、母親業を完璧にこなす必要性も、兄弟間の争いに悩む必要性もなくなり、どんどん力が抜け楽になっていきました。 気付けば、兄弟喧嘩は見ないようになり、長男と次男の関係性も変わっていました。

息子たちに変化が…

ある日、母子の立場が逆転し、Mさんが長男に話を聴いてもらっていたときでした。 彼が、サラッと凄い事を言い出したのです。

「人間は、その存在自体に価値があるんだよ」 一瞬、誰の言葉なのかと思うほど驚きました。

また、10歳になった次男は、二分の一の成人式に、生きることへの喜びと感謝を表現した感動的な詩を書いていました。

『初めて知るとき おもしろいことをしたとき うれしかったとき ぼくはこう思う 生んでくれてありがとう』

息子たちの言葉に、Mさんは、新しく生まれ直した自分の声を聴きました。 彼女の世界に平和が訪れたのです。

(終わり)